プログラムノート

原田英代ピアノ・リサイタル第5回<光>

2022年3月11日(金)
Hakuju Hall(ハクジュホール)

シューベルト:
ソナタ 第21番 変ロ長調 D960

 シューベルトにはよく知られた逸話がいくつもある。小学校教師の貧しい家庭に生まれ、父の学校で教師になった男、梅毒に苦しんだ男、ベートーヴェンに会いに行けなかったシャイな男等。それらは事実であろうが、後世の人々はそれらからセンチメンタルなシューベルト像を作り上げてしまった。
 シューベルトは少年時代から父と兄たちと共に弦楽四重奏曲を演奏するなど才能を発揮してきた。にもかかわらず、彼が作曲することに父親は猛反対する。全寮制王立神学校時代、五線紙を買うことができず、自分で線を引いて作曲していた少年フランツに、裕福な友人がそっと五線紙を提供していた。シューベルトは父の学校で働き始めてからも、密かに作曲を続け、結局父親と決別して家を出て行く。シューベルトは自分の価値を知っていたのだ。何という強さであろうか!「ベートーヴェンの後でなにができるか」というシューベルトの言葉からはもちろんベートーヴェンへの尊敬の念が伝わってくるが、決して絶望的な言葉ではない。それはベートーヴェンへの挑戦状であった。
 「シューベルトには怒りがあった。」これは、シューベルトの伝記映画で主役を演じたドイツ人俳優ウド・ザメルの言葉である。モーツァルトやベートーヴェンを尊敬しながらも自分の使命を理解していたシューベルトは、三流音楽家から見下されようとも独自の道を進んでいく力を内に秘めていた。
 シューベルトにとってメロディは命であった。彼は純粋にベートーヴェンを崇拝していたが、メロディを活かした前例のないスタイルの作曲を諦めはしなかった。わずか31年の人生に、六百曲もの歌曲をはじめ、恐るべき数の作品を残したが、そこには千差万別のメロディが生きている。モティーフを大切にするソナタ形式でも、メロディを優先的に扱う方法を探り続けた。そしてついにベートーヴェンが築き上げた弁証法的なソナタのコルセットを脱ぎ捨てる。第21番のソナタは、まさにその金字塔である。

 このソナタはシューベルトが亡くなる2か月前に書き上げられた大作。第一楽章に見られる悠然とした優しさは類を見ない。展開部で歌曲『さすらい人』のモティーフが現れると、彼の内面における苦悩が顔を出すが、それはまた主要主題の出現で愛に包まれて最初の楽章を閉じる。嬰ハ短調の第二楽章が続き、憂悶する姿が浮かび上がる。嬰ハ短調は歌曲『さすらい人』の調性である。またメロディにちりばめられたダクチュルスのリズム(長-短-短)が、さすらい人を暗示する。続く屈託のない第三楽章は全四楽章のうち最初にスケッチされたもので、いわばこのソナタの元になった楽章である。第四楽章が突然「止まれ!」と言わんばかりの命令のオクターブで始まり、それに主要主題がハ短調で続く。これは第一楽章の主要主題が変形したもので、不穏な動きを見せ、短調と長調を交差しながら葛藤を繰り返す。突然の休符につまずき、狂乱の世界に突入するが、繰り広げられる乱舞を抜け出し、最後は輝く光の中を上へ上へと飛翔していく。

ラフマニノフ:
プレリュード 作品32-10 ロ短調、作品23-4 ニ長調
エチュード『音の絵』作品39-7 ハ短調
楽興の時 作品16-6 ハ長調

 ラフマニノフは祖国ロシアを心底愛していた。ラフマニノフの創作活動はロシアと密接に関わっており、十月革命で亡命を余儀なくされてからというもの、彼の作曲のペンはなかなか進まなかった。故郷を失った彼は、自分自身をも失ったのである。「音楽的源泉や伝統、そして故郷の大地を失った者に、作曲意欲は残っていない。」それほど彼の作品にはロシア的な要素が数知れず生きている。
 ラフマニノフのロシアの大地への愛とは、ロシアの大地の静けさ、安らかさへの崇拝であった。雄大に歌い上げるラフマニノフの音楽は、まさにロシアの自然を母胎として生まれたものだった。小高い丘の多いロシアの大地のうねりは、彼の音楽における伸縮自在の旋律線に反映されている。
 またラフマニノフの音楽を特徴づけているものに、彼が幼少期から魅了された教会の鐘の音がある。ロシア人にとって、鐘の音とは生命と合体した響きであり、少年セルゲイにとっても特別なものであった。両親の離婚で愛する父親と別れなければならなかった彼は、勉強にも何にも身が入らなくなったが、祖母の住むノーヴゴロドの近郊で夏休みを過ごすのが好きで、そこの古い教会の鐘の音と聖歌に魅せられた。この音楽的印象は生涯ラフマニノフから離れることはなかった。
 ラフマニノフの音楽は第三者的な説明のような冷静な叙述ではない。彼が作品で表現したいと望んだものの陰には、常に彼自身の深い体験が潜んでいたのである。それゆえに、ロシア音楽にとって最も大切なメロス(メロディ)が音楽から消滅したモダンな作品を受け入れることは到底できず、世紀末、多くの芸術家がアヴァンギャルドの風潮に流れ込んでいく中で、ラフマニノフは決してロシア的な抒情性あふれる作風から道を外れはしなかった。希望の光は、自分たちがしっかりと大地に根を下ろすことから見えてくることを、ラフマニノフの音楽は教えてくれるのである。
 プレリュード作品23-4は、ロシアの抒情性豊かな詩である。ロシアの自然に包まれた安らぎと歓喜が謳われる。プレリュード作品32-10とエチュード作品39-7には鐘の音とロシア正教会の聖歌が使われている。『楽興の時』はラフマニノフが23歳のときの作品で、彼が将来を約束され華々しく音楽界にデビューしたばかりの頃のもの。第6番では鐘の音と太いメロディ線がうねる。

スクリャービン :
エチュード 作品8-11 変ロ短調
ソナタ 第5番 作品53

 19世紀末から20世紀にかけて、革命の前の混沌とした嵐の時期に活躍したロシアの著名な作曲家と言えば、スクリャービン、ラフマニノフ、メトネルが挙げられる。三人三様の個性を誇る作曲家たちであったが、共通して苦悩、不安、昂るパトスなどが作品に反映されていた。三人ともロシア的であることを自負し、初期にはメランコリックなロシア的抒情性を湛える作品を書いた。スクリャービンのエチュード作品8-11を聴くならば、そうした彼の初期の特徴がはっきりと聴き取れる。
 しかし、やがて、スクリャービンは革新的な音楽を生み出していく。物質的なものを忌み嫌うようになったスクリャービンにとって、感情も物質的なものであった。「音楽は非物質化されなければならない…」と語った彼は、音楽の神秘性に目覚めていく。そして超感覚的なものに魅了され、恍惚の扉を開く。心は法悦に浸り、歓喜に震える。音楽とは祝祭であり、バッカスの狂宴であった。まず、彼は和声を機能的な法則から解放させる。ソナタ第5番は、そのはしりの作品である。ここには彼が書いた『法悦の詩』の詩の一部が冒頭に記されている。


“私は君を生へと呼び覚ます、秘めたる欲求よ!
創造の精神の深い暗闇に沈み、おどおどとした生の胎児よ、
私はおまえに大胆さをもたらす。“

 “君”を生に呼び覚ますのは、人間一人一人の中に眠っている内なる力だ。スクリャービンは言う。「われわれは自分の可能性の多くを知らないのです。全宇宙自体が我々の中に在る…物理的なもの全ては、精神に生じることの反映です。」
 この第5番を境に、一楽章制のソナタに変わっていく。スクリャービンは形式が不可分の一体となることを望み、作品が一つの球体となることを願うようになったのである。
 また、スクリャービンの作品にも、ロシアの鐘の音が生きている。彼の場合、鐘の音は地上に天を作る助けとして使われ、多くの人々や多様性が、統一されたものの中の存在であることを現実的に示そうとしたのである。
 スクリャービンにとって価値があるのは神秘だけとなっていった。人間の体験する感情や情熱の内容は問題ではなく、経験に基づいて出来上がった概念を捨て、精神的なものを優位に置く。響きの性質も飛翔する音が主流となる。休符ですら、空に浮いた存在となる。ピアノという物質的な楽器から音を鳴らすという感覚は薄れていき、音は光の中にあるのみになっていったのである。

光をもとめて

 この世に真の平和が訪れるには、まず人間一人一人の心に光が灯ることが大切であろう。
 シューベルト、ラフマニノフ、スクリャービンは、荒れ狂う時代の中で各々が自分の内に光を見出し、それを音にした。こうした音楽に導かれ、人間一人一人が内面から光を放ち、闘争のない世界を創っていくことを願いつつ、5回にわたって開催してきたこの『人間ドラマと音楽』の幕を閉じたい。