プログラムノート

シューベルト・チクルスⅢ

2004年4月2日
浜離宮朝日ホール

“1823年”という年

 1818年、エステルハージー伯爵の招きによりハンガリーのゼルチェの前で夏を過ごしたシューベルトは、11月懐かしいウィーンに戻る。そして 職に就く時期を逸してしまった彼は、勿怪の幸いと、何ものにも邪魔されずひたすら音楽に没頭する日々を願うのだが、父親から家を出て行くよう言い渡されてしまう。勘当は今回が二度目のことである。こうして文字通り“さすらい人”となった彼は、死が訪れるその日まで友人や兄弟のもとを転々とすることとなる。だが、シューベルトはそのような状況にあろうと も屈することなく、未来に期待し成功に輝く日を夢みていた。出版社とのトラブルなど屈辱的なことは多々あったものの、名山の数々が生まれてい る。その中には1822年に作曲された交響曲第8番ロ短調「未完成」も含まれる。
 そんな矢先の1823年、彼は大きな心の痛手を受ける。それはシューベルトの新たな苦痛の始まりとも言える年であった。前年末に感染したと思われる性病が年明けとともに悪化する。2月28日イグナーツ・フォン・モーゼルに宛てた手紙の中で体調の崩れを訴えている。夏には演奏旅行ができるまで回復するものの、秋には入院を余儀なくされる。シューベルトは世を去る1828年まで様々な病魔に悩まされるが、それがこの梅毒の影響であることを彼自身よく知っていた。人に知られたくない病気に悩むシューベルト。宗教的にも救われ難いこの病魔に蝕まれた彼の胸中いかなるものであったか、想像に難くない。彼は、1823年5月8日、「我が祈り」という詩にその思いをしたためた。
 このような状況の年、彼はますます作曲に意欲を燃やす。以前から興味を持っていた劇音楽の分野にさかんに挑戦したのもこの年であった。しかし、彼の作品は劇場で受け入れられるに至らない。ここにもう一つの挫折があった。だが、そのような苦悩の連続の中、リートの分野に傑作が生まれた。ウィルヘルム・ミュラーの詩につけられた連作歌曲集《美しい水車小屋の娘》である。ミュラーはドイツ・デッサウの出身、ベルリンで活躍した早世の詩人であった。シューベルトのもう一つの連作歌曲集《冬の旅》もミュラーの詩に作曲されたもので、詩人ミュラーの名はシューベルトによって後世に残ったと言えよう。

《美しい水車小屋の娘》D795

 これは粉ひき職人の恋物語である。話は、彼が職場としての水車小屋を求めて小川に沿ってさすらうところから始まる。行き着いた水車小屋には美しい娘がいて、彼はたちまち心を奪われる。彼女の心中を知りたくてうずうずしている若者の、焦る気持ちと恋する心の微妙な絡み合い。しかし、彼女は結局、狩人を恋人に選ぶ。粉ひき職人の狩人に対する嫉妬心、彼女への憤りも虚しく、やがて彼はすべてを諦め、小川に身 を投げる。
 これはどこにでもありそうな若者の失恋の話だが、心の友である小川を始めとする自然の絵画的描写を背景に若者の揺れ動く心の有様を美しく綴ったミュラーの詩は、シューベルトを瞬く間に魅了してしまった。 そしてこの悲恋物語は我が作曲家の手にかかって、更に繊に入り細にわたって表現されたのである。あたかも、シューベルト自身が粉ひき職人の口を借りて告白しているかのように。
 この歌曲集は20曲から成っているが、ミュラーのオリジナル版は、もともとプロローグとエピローグ、そして23篇の詩から成っていた。シューベルトはその中から20曲を取り出してこの連作歌曲集を作り上げた。皮肉っ ぽい口調のプロローグやエピローグのなくなったシューベルトの歌曲集 《美しい水車小屋の娘》は、聴衆が面白おかしく楽しむ単なる娯楽としての作品ではなくなり、素朴な若者の哀しくも美しい歌物語となった。
 1823年5月、最初の数曲を作曲したシューベルトであったが、同年秋に病院で続行し、退院してから完成させたという。このような内容の詩を相手に病院で作曲し続けているシューベルトの姿は、想像しただけでも胸が痛む。作品からはまるで彼の嗚咽が聞こえてくるようである。

1. さすらい

 “さすらい”はシューベルトにとって大切なテーマだった。文字通りさすらいの人であったシューベルトは、他にもこれをテーマにした歌曲を多く残している。しかし、そのなかにあって、この曲は実に明るく元気がい い。ミュラーの詩に登場する粉ひき職人はさすらうことの大好きな若者なのだ。一所に留まっているなんて愚の骨頂だ。やがて訪れる運命の いたずらを予期すらしない若者の純粋さが、実に初々しい。
 シューベルトはその内容を表現するために、何と適切な動きを見つけ たことか。若者の足取り、そしていつも動いているもの、さすらっていくものを象徴するかのように動く円形をなす伴奏形、そして快活な心を描くメロディー線。

2. どこへ?

 小川に沿って歩いていく粉ひき職人。いよいよこの物語の始まりである。岩間から湧き出る小川の水が眩しく光っている様子をピアノが醸し出す中、水車小屋を求めてさすらう彼の姿が描かれる。わずか2小節の前奏は、小川が遥か遠くから流れつづけていることを暗示する。三部形式で書かれているが、再現部は第5節の第3行のテキストから始まる。このズレが、第5節最初の2行詩の重要さを物語ると同時に、途絶えることのない小川の流れとさすらいの性格をより強めている。

3. 止まれ!

 突然聞こえてくる水車の回る音!水車の動きを思わせる円形のユニゾンで始まるこの前奏は、私たちに場面転換を告げる。榛の木の茂みから見えてくる水車小屋に彼の心は躍る。伴奏に絶えず現れるトレモロは小川のせせらぎか、若者の興奮した心か。

4. 小川への感謝

 詩の冒頭では、「止まれ!」の最後の言葉が繰り返される。水車小屋まで導いてくれた小川に感謝する若者。それは仕事場が見つかったことへの感謝だけでなく、すでに淡い恋心を抱く水車屋の娘に会ったことへの感謝なのだ。しかし恋には不安がつきもの。ここでも第3節でその心を覗かせる。シューベルトはそこに同主調の短調をおいた。三部形式だが、Ⅰ-Ⅴの和声の連続と、不規則な小節数を持つメロディーによる即興的な曲。

5. 仕事の終わった夕べに

 彼女の目を惹きたくとも、なかなかそうはいかぬもどかしさが粉ひき職人を苛ます。冒頭の和音から、既に彼の穏やかならぬ心のうちが示される。この和音の伴奏形は、自分が弱いことを嘆く部分に再度弱音で使われる特徴的な音形である。中間部では親方が一同に向かって話す。それに続いて彼女も“おやすみ”の一言。しかし、それは彼一人にささやかれたものではなかった。再現部として、シューベルトは詩の第1節を繰り返して用いた。ここではバスの音形はより切迫したものとなり、速度も音量も増大し、心の動揺がますます激しくなったことを示す。また、ここでは彼女がすべての従弟に話しかけたことに対して、シューベルトは「僕の」という語を強調した。

6. 知りたがりや

 前奏の途切れ途切れの旋律が、事の真相を知りたがる彼の心のうちを示唆する。若者の甘くてほろ苦い恋慕の情が、小川に静かに間う彼の姿を通して魅惑的に表される。彼が知りたいのは、「イエス」か「ノー」の一言。ここに七変化する和声が駆使されている。

7. 焦燥

 ミュラーの原詩にはこの前に、シューベルトが作曲しなかった「水車小屋の生活」という詩が置かれていた。そこに描かれているのは、魅せられた水車屋娘の姿。それを受けて、「焦燥」では水車屋男の興奮した心が伝わってくる。激しくしかし密かに打つ鼓動のような三連符の動き。 その合間に浮いたり沈んだりして現れるバスのメロディー。何と魅力的な前奏だろう。それを受けて始まる歌は、一節ごとに転調し、心を押さえきれないでいる。

8. 朝の挨拶

 限りなくシンプルな美しさが瑞々しい有節歌曲。上行する6度音程、3度音程の純粋さが心に染みる。中間部では下降する半音程のバス進行が現れ不安な気持ちを象徴している。最後を飾るのは冒頭のメロ ディーの変化したもので、これは1小節遅れて伴奏でも繰り返される。まるで、遠くから水車小屋の娘を眺める若者の姿を思わせるかのように。

9. 水車屋男の花

 彼女の青い目と、小川のほとりに咲く花が同一視され、恋が“自然”と溶け合った色彩感溢れる作品。冒頭で響くバスのオクターブが、幻想の世界に誘う。アルペジョの織り成す優しいメロディー線が、憧れる心を思わせる。

10. 涙の雨

 初めて一緒の時を過ごす水車屋男と水車小屋の娘。三声ないし四声で書かれた伴奏形が、彼女に寄り添う若者の姿と心理状態を表している。また間奏では二人が見入っている小川の動きも見える。短調で書かれた最終節で、彼女は冷たい一面を覗かせる。彼女のそっけない言葉に使われた減七の和音が、事の展開を告げる。

11. 僕のもの!

 恋する若者は、「彼女は自分のものだ!」と勝ち誇った歓喜の声をあげ る。しかし中間部になると、どこかでまだ手放しでは喜ぶことができないじれったさを覚える。再現部ではまた明るさが戻ってくるものの、それはあたかも焦燥感に駆られ、あえて自分に自分の幸せを信じこませようとするかのようである。すでに状況は芳しくないことを示唆する。

12. 休息

 リュートの弦を爪弾くようなモティーフ。その繰り返しが孤独な水車屋男の姿を浮き彫りにする。壁にかけられたリュートの弦にリボンが触れて響きだすとは、何と幻影的な世界であろうか。落胆と期待の間を微妙に揺れ動く若者の複雑な心境が、様々な和声の変化を用いて見事に表現されている。

13. リュートの緑のリボンで

 水車小屋の娘は、「壁にかけられた緑のリボンがもったいないわ」とぼやく。半ば、やけになって彼女にリボンを贈る若者。気まぐれな水車屋娘に翻弄される若者の姿を、軽妙なタッチで描く。

14. 狩人

 いよいよ恋敵の登場に、粉ひき男は心中穏やかでない。白い粉にまみれた自分と違って、相手は颯爽とした狩人だ。鋭いスタッカートを伴ったカノン風の前奏が、只事ではない様子を知らせる。歌のメロディーと伴奏が逆行し、抑えがたい激怒の情がむらむらと沸き起こるのを感じさせる。

15. 嫉妬と誇り

 若者は我を失い、自暴自棄に陥る。小川は彼の憤慨した姿を受けて、荒れ狂ったように流れ始める。そして、初めて彼女に批判的な言葉を浴びせる粉ひき男。それはやがて悲しみに変わるものの、憂いの中にありながらようやく誇りを取り戻す。スピード感を伴い、一瞬一瞬心理状態の変化する通作歌曲。

16. 好きな色

 ミュラーの原詩には、この前に「最初の苦痛、最後の戯れ」という詩が置かれていた。そこで、粉ひき男は狩人と恋仲になった彼女の姿を窓越しに目の当たりにする。この痛みをうけて書かれたのが、この絶望的な詩、「好きな色」である。同音連打一これは「焦燥」で見られたものとは性格が異なり、徐々に傷に塩を塗られるような厳しいものとなる一が恐ろしいまでに続く中、希望を失った若者の語る声が聞こえてくる。1香ではまだ恋の余韻があるが、2番では憤りが加わり、3番で完全な放心状態となる。

17. 嫌いな色

 彼女の好きな色、緑は今では忌々しい嫌な色となってしまった。前奏には水と油のように異なる2つの音楽ファクター-穏やかなアルペジョで描かれる長調と激しい和音の同音連打が打ち鳴らされる短調一が置かれており、その対比が痛々しい。心の痛みを訴える箇所では「好きな色」をうけて同音連打が鳴り続ける。角笛に挑発された彼は、再度怒りを爆発させるが、そこでは途切れ途切れの和音が鳴り続ける。

18. 枯れた花

 原詩においては、ミュラーはこの前に「可愛い花、忘れ草」という詩が書いていた。忘れ草というはミュラーの想像上の花で、緑の葉のついていない黒い花。しかし「枯れた花」では、彼女から贈られ、今では全く萎れてしまった花が対象となっており、破れた恋の零落した姿が顕わにされる。凍りついたような伴奏形の上を、憂いに満ちた旋律が流れる。だが、やがて長調に移り、死後への希望へと繋がっていく。符点のリズムの伴奏が遠くから聴こえ始め、彼の亡き後、誠実な愛が報われることを 期待する。

19. 水車屋男と小川

 水車屋男と小川の初めての会話。死を覚悟している若者と、生の象徴である小川。その美しすぎるほどの会話に、シューベルトが驚異的な天才ぶりを発揮した名曲。第3シュトローフェンの「川の底に冷たい安らぎがある。小川よ、ただひたすら歌っておくれ。」で短調から長調に変わる箇所の美しさは喩えようがない。

20. 小川の子守歌

 冷たい水の底に沈んだ若者を、小川の愛に満ちた感めが優しく包み 込む。ダクチュルスの穏やかなリズムが安堵感をもたらし、恋に破れ、疲れきった若者に安らぎを与える。最後は、満月が昇り霧が晴れるという、 広大なパノラマに視界は移っていく。そこには限りなく透明な月夜が描写されており、永遠の平和を約束するかのようである。